04772-170521 アフォーダンスの尊重
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イタリアに住む親しい友人 Rieさんからコメントを頂いたので、一部、転載します。
shioの写真の話を聞いていると、よく J・ギブソンのアフォーダンス概念を思い出します。 "each thing says what it is"
水は「飲んで!」と、ドアノブは「開けて!」と私たちに訴えかけてくる(表現してくる)といった議論です(すごく大雑把な説明ですが、笑)。前に話したっけ?
shio が被写体の「目」にピントを合わせるのは、被写体の表現源と目を合わせていて、被写体の「写して!」という声を聞き取っているんだろうなぁと想像してるわ。
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ありがとう。まさに図星です。
すべての存在にはaffordanceがあると信じてます。だからそれを観察し、読み取り、コミュニケイションし、自分が鏡となって「写す」。それがshioの写真。
写真は「撮る」(=取る・採る・獲る・捕る・盗る)のではなく「写す」(=映す・移す・空す・虚す)のだ、と言っているのはそのためです。被写体からのメッセージを写すのです。affordanceを写真に写せているとしたら、被写体と一緒に踊れているのかもしれません(afford + dance ^^)
司法試験の問題文にさえaffordanceを感じる。だから学生たちに「答えはそこに書いてある」って教えてます。
そしてもちろん、条文にもaffordanceがある。それが僕の条文解釈、条文の読み方の手法と教育です。
授業もaffordanceを読み取ることによって展開します。学生たちが何を求めているかは学生たちの顔に書いてあるから。あらかじめ内容を決めて情報提供する「講義」を絶対にしないのはそのためです。教室でshioは「授業」をする。クラスの学生が5人だろうが、50人だろうが、500人だろうが同じ。義を講ずる講義はしない。業を授ける授業をします。業を行うのは学生たち。shioはコーチ。 各種製品を買ったら、マニュアルは読まない。そのもの自体でaffordanceが感じられるように設計、デザインされているはず(べき)だから。マニュアルを読まないと使えないような製品は売られていないはずだし、売っちゃいけない(未完成品であってお金を受け取る資格がない)と思うからです。
「被写体からのメッセージを写す」
なんて素敵な言葉でしょう! 座右の銘にしたくなっちゃう。
被写体あっての表現手段ですから。
〈写真はPENTAX K-1 + smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited〉
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